物理的な気胸の再発 (6,7回目/右)
タイトルにもある通り、今回の気胸の再発は原因不明の突発的なものではなく、はっきりとした原因があった。それを6回目、7回目と順に紹介していこう。
6回目の気胸は前回の気胸からまたしても2か月後の8月であった。所属していたサークルでのイベント準備をしていた時である。
イベント準備には荷物運びがつきものであるが、その荷物運びの際、事件は起こったのである。
たまたま、20kgほどはある吸い殻入れを動かさなければならない機会が訪れた。持ち上げて運ぶことは困難なので引きずって運ぼうとして力を入れたその時であるー
ズキッとあの痛みが訪れたのである。
ここで私は学んだ。気胸持ちは重いものを持つのがダメだと。これまでは突然気胸が降りかかるようなことが多かったので原因ははっきりしないと思い込んでいた。
しかし、今回のように肺に強い物理的衝撃を加えると穴が開いてしまうこともあるのである。
そして、右肺も再発してしまったのでこれで次の再発率が大幅に上がってしまうことが確定した。気胸の再発率は一般に30%と言われている。しかし、一度再発してしまうとその後にまた再発する確率は80%にまで上がるのである。
そしてあっという間にその時はやってきた。またも2か月後。10月である。この年はとんでもない年だ。4,6,8,10月と2ヶ月おきに気胸になっている。
そしてこれもまた物理的要因によるものであった。
人はすぐに油断してしまう生き物である。前回肺に物理的衝撃を加えれば気胸になることを学んだというのにまたしても衝撃を加えてしまったのである。
たまたま、縄跳びをする機会があった。自分は昔縄跳びが結構得意であったため、調子に乗っていろんな難しい技をやっていた。後ろ交差二重跳びに挑戦していた時に事件は起きたのである。
交差跳びの時点で肺を締め付けるような形になるので危険なのにそれを後ろ向きにしかも二重跳びでやってしまったのである。今回の痛みは尋常ではなかった。軽度の痛みで自然治癒できるレベルではないことは経験上すぐに分かった。少なくとも中度の気胸ではあった。
これはやばいと思ってしばらくうずくまり、楽な態勢でいた。
すると、これは自分の気胸史上最も謎であるが、しばらくして痛みが消えたのである。しかもほぼ完全に。その所要時間わずかに15分ほどであった。
これまでは一度気胸になると軽度でも2週間ほどは痛みが続いたというのに (一般的にもそうであろう) 今回は症状が重かったのにも関わらず一瞬で痛みが消えた。なぜだろうか。この理由が分かったらまた記事に書きたいと思う。
ただ、絶対に肺に何かしらの悪影響が出たとは思ったので、次に気胸になったらどんな程度でも病院に行こうと思った。
しかし、これを機に次はなかなか訪れないのである・・・
初めての手術(続き) (4回目/左)
痛みに耐えながらパソコンのセットアップを行った翌日、彼はいったいどうなったのか・・・
次の日起きてみると、全く痛みが和らいでいないことに気が付いた。これでは日常生活を送ることができず、さすがにやばいと思い、病院に行った。
レントゲン結果は衝撃であった。
左肺の80%がしぼみ、左肺がほとんどなくなっていたのである。
最初、レントゲンを見せられた時は肺の境界線があまりに下にあったのでこれは肺が下からしぼんでいる(つまり20%ほどしぼんでいる)のかと思った。
が、違った。上からしぼんでいたのである。片肺がない状態でよく昨日一日生活したなと思った。そして、すぐにこう言われた。
緊急入院です。と。
いや待ってくれ、今日は3/30だ。4/1から大学が始まり、4/4には入学式がある。そんな、いきなり休んだら大学生活出遅れてしまうじゃないか、そんな気持ちであった。
何としても入学式には出させてくれ!と懇願したら3/30入院4/1手術4/2退院という恐らく気胸史上最も短い入院日程が提示された。
これは凄い。
それならなんとか入学式にも間に合う。入院の決意もできた。入院時の詳しい話はまた別の記事ですることにしよう。
初めての手術 (4回目/左)
とうとうやってしまった。重度の気胸である。順に説明していこう。
3月末、仮面浪人の方のブログからも分かる通り4月からいよいよ大学生になるという時期である。この重要な時期にやってしまったのである。
忘れもしない、3・29事件。
地元の友達と春休みということで久々に会い、その夜に回転寿司へ行く予定であった。
しかし、思いのほか早く回転寿司の予約を入れてしまいその回転寿司店まで少し距離があったため走らないと間に合わないくらいであった。その回転寿司店はかなり混むため何としてもその予約の時間を過ぎるわけにはいかなかった。そのため、結構なスピードで走ってそこへ向かった。
これが全ての始まりである。
その夜、楽しく帰宅していつもと同じようにシャワーを浴びた。
すると、初めて気胸になった時と全く同じ痛みに襲われた。しかし、今回は初めてではなかったため、前ほどの恐怖はなかったし前回はあんなに痛かったのに軽度だったから今回も呼吸はかなり苦しいがまあ大丈夫だろうと比較的落ち着いていた。
ここでふと思ったのは初めてなった時もシャワーを浴びる前少し走っていたから気胸は走る→シャワーの流れでなりやすいのだろうかということだった。
まあとりあえずその日はすぐに寝て次の日様子を見ることにした。
次の日起きてみるとまあ痛い。背中を曲げてかがんだ状態になっていないと息ができないくらい苦しかった。
が、慣れというものは恐ろしいものである。無知も怖いがそれと同等に慣れも怖いものである。前回もこんな感じだったから、とその日は病院に行かなかった。
病院に行かない理由に慣れももちろんあったが、その日に大学生活のためのパソコンが届き、そのセットアップを行う必要があったからである。パソコンのセットアップは座った状態で行うことができ動く必要もないので気胸で肺に穴が開いていてもなんとかできた。
こうして、痛みに耐えながらもこの日を終えることができ、もう少し様子を見ることにした。
次の日どうなったかは次の記事で書くことにしよう...
気胸との出会い (1回目/左)
何事も初めては怖いものである。最初の気胸は高3の夏休みであった。受験生にとって最も重要なこの時期に気胸になってしまったのである。
それは突然やってきた。
夜、いつものようにシャワーを浴びているといきなり胸に激痛が走ったのである。まっすぐ立っていられないくらいの痛みですぐにかがんで呼吸が楽にできる態勢に切り替えた。この時は気胸の存在を知らなかったため心筋梗塞か何かで死ぬんじゃないかとも思った。とにかくすぐに風呂を出て楽な態勢を取った。体操座りのような姿勢でいれば何とか息はできたためしばらくその姿勢でいたがもう寝る時間も近づいていたので横にならなければならなった。
ここで怖かったのはこの原因がわからないことだ。無知とは恐ろしいものである。
その時丁度エナジードリンクを飲んでいたのでそれが胸に響いたのかとも思っていた。とにかく寝たら少しは落ち着くのかと思い、とりあえず寝た。
しかし、次の日起きてみるとまだ余裕で痛い。これは呼吸が苦しいレベルで放っておくとやばそうだったので病院に行った。
すると、自然気胸と診断された。当時はなんだそれ?という感じであったがナイナイ矢部がなった病気と聞いて少しピンときた。気胸の程度は軽度であり自然治癒できるレベルとのことで手術や処置は特になかった。初めての気胸だったため軽度でも痛みが強く感じられたのだろう。
2週間ほど経つと楽になり、肺の膨らみも無事戻った。これが最初の気胸体験であった。